屈辱に終わったアッズーリのワールドカップ予選
2ヶ月前の悲劇から全く更新してませんでした、まさに晴天の霹靂が起き気力が削がれてしまいました。
北マケドニア戦からかなりの時間が経ちいくらか冷静になったところで、前回と内容を変更しアッズーリの敗因、そしてこれからについて僕の目線や上がっているインタビューを元に書き留めていきます。
まず試合についてですが、大方の予想通りで考えられるベストメンバーだったと思います。
キエーザ、スピナッツォーラ、ボヌッチ、キエッリーニ、ディロレンツォといませんでしたが北マケドニア戦は問題なく勝つだろうと信じていました。
試合の展開もその通りで開始早々攻め立てるアッズーリに対してひたすら守る北マケドニア。
ただ開始10分ほどで「あれ?もしかして点入らない?」と思い始め、ベラルディのビッグチャンスを逃した瞬間にこれは厳しい試合になると感じました。
その後カウンターからあわや失点という場面もありましたが我らがフロレンツィが見事なスライディングで防いでくれました。
2016年ユーロもそうでしたがフロレンツィは印象的な守備が光ります。
ただ待てど待てど点が入らない。3トップの面々は焦ってエリア外からシュートするもDFに弾かれたり威力のないシュートばかり。
後半開始直後、ベラルディが再び可能性のあるミドルを放つがディミトリエフスキの正面。
その後再びチャンスを迎えるがシュートは枠の外。
しばらくすると開始時から不調気味だったインシーニェ、バレッラ、インモービレを下げてラスパドーリ、トナーリ、ペッレグリー二を投入。前線はより流動的に動きワンタッチで小気味良くボールを回すシーンが出てくるが北マケドニア守備陣を破るには至らず。
延長に入る直前に最後の選手交代。疲労困憊ベラルディと少し脚を痛めている様子のマンチーニを下げて初招集のジョアンペドロ、キャプテンキエッリーニを投入します。
正直これを実行した瞬間、「?」が頭に浮かびました。マンチーニらしくない采配だと思っていたので。
延長に入る直前なのになぜこんな半端な采配をしたのか。
理由を色々考えていた中、あの光景が。
北マケドニアのゴールキック。イタリアがうまくクリア出来ずボールが流れた先には、実況でも何度か呼ばれていた元セリエ選手のトライコフスキ。
うまくボールを処理し20mほどの距離から右足を振り上げた瞬間「やめろ!!!」と叫んでいました。
刹那、「ゴーーーーーール!!!!」という実況と共にゴール右隅に吸い込まれたボール。トライコフスキへ駆け寄る北マケドニアの選手スタッフ一同。項垂れるアッズーリ。
リスタートした数分後に試合終了を告げるホイッスル。
同時刻行われた「ポルトガルvsトルコ」では同点ゴールを決めたユルマズがPKを獲得しポルトガルに追いつくチャンスを得る。
しかしこれを惜しくも外してしまう。そして順当に勝ち上がったポルトガルが北マケドニアとのプレーオフを制しめでたくワールドカップ出場権を得ることでグループCの物語は終わりを迎えた。
アッズーリ、いやイタリアとしてはスウェーデンとの敗戦より生まれた冒険譚は、ユーロ優勝による最大の見どころを迎えるものの、最期は週刊誌によくある「俺たちの物語はこれからだ」と言わんばかりのあっけない幕引きとなった。
この結末を受け、なぜこうなったかを四六時中考えていた。シーズン中でもある選手たちはゆっくり考える時間は与えられず、すぐクラブのことに切り替えないとプレーに影響がでてしまうが僕にはそんな心配は無用だ。
数日で結論は出たがうまく文章化、言語化できないからずっと更新を停止していた。
ただシーズンも終わりいい機会なので書かせていただく。
結果として様々な媒体で言われている下記3点になるだろう。
①個の力不足
②プランの乏しさ
③間違ったメンタリティ
まず①から。
主力を多く欠いた試合、それでもパッと見る限りは遜色ないメンバーかと思う。
ただ決定的に欠けていた力がある。「推進力の弱さ」だ
ユーロは優勝したものの準決勝、決勝はPKでの勝利。もちろんスペイン、イングランドという優勝候補相手だから当然なのかもしれないがここにもヒントがあったと思う。
準々決勝のベルギー戦、2-1で勝利したがスピナッツォーラが大怪我をし残り試合を欠場することとなった。控えには元々スタメンであるエメルソンがおりマンチーニの戦術に問題なく適応できる選手のため最終的に「優勝」を掴むことができたと思う。
ただスピナッツォーラには前任者にない圧倒的な「推進力」がある。これにより左サイドを押し上げ相手の右サイドを圧迫することができる。そしてその逆サイドにはあの漢がいる。
フェデリコ・キエーザ
最近のイタリア代表にいなかった一人でカウンターを完結できる選手。
二人マークが付いていてもその真ん中を無理やりぶち抜くドリブルは彼ぐらいだろう。元はスタメンであったザニオーロもそうだったが、怪我から復帰以降は鳴りを潜めてしまっている。
スピナッツォーラ負傷以降も懸命に走りスペイン戦のゴールを生み出した。
守備もサボらず全力で走り、相手にぶつかるようにプレスをかけるためいつか怪我しないかとヒヤヒヤしていたがそれが現実になった。
シーズン開始後、ユヴェントスの絶対的エースだったロナウドが急遽マンチェスターユナイテッドへ復帰したのだった。そうなれば誰に負担が来るか。
その後も休むことなくプレーを続けCLチェルシー戦では見事なゴールも決めたが、アッレグリにハマらないのか戦術が定まらないのか、それともメンタルの問題なのか印象的なプレーは影を潜めていた。
そして1月に行われたローマ戦。前半早々倒れ込んだがしばらくすると起き上がりプレーを続けた。これが誰の判断によるものかわからないが、すぐに交代すればまだ傷は浅かったかもしれない。
結果としては右膝の前十時靱帯の損傷。この試合ユヴェントスは逆転勝利を収めるがクラブに留まらずイタリア中におおきな代償を支払うこととなった。
そしてスピナッツォーラとキエーザがいない状態で戦ったヨーロッパ予選は勝ちきれない試合が続く。軒並み対戦相手もペナルティーエリア周辺を固めれば崩されることはないと割り切るチームばかりとなり思うように点が取れない。
スイス戦ではそれぞれの試合でPKのチャンスを得るが名手ゾマーを攻略できずに終わってしまう。ここでジョルジーニョの責任にする人もいるだろうが個人的にはそう思わない。
キッカーに指名しているのはチームの総意であるとともにPKでないと得点できないようであればワールドカップに出場する資格なんてないと思っているからだ。
話を戻す。結果としてそういったチームに対してうまく攻略の糸口を見出せないままプレーオフへ臨むこととなった。
そして②の話題へつながる。
一旦ここで終わらせていただきます。
それでは。
はじめまして〜ミランのバンディエラ〜
それではネスタとマルディーニについて話します。ただ全体的なボリュームはトッティに比べたらあっさりかも。
注目したきっかけはゲームでミランを使ったとき。異常に高い能力を見てDFにもすごい選手がいるんだとそんな単純な話でした。ハイライトを観てても中々出てこないけど、出てくると長髪をなびかせ相手を仕留める姿を観れたり見れなかったり・・・
ルックスもさることながら、その姿はただただかっこよかった。当時文字通り屈強なセリエAの攻撃陣を文字通り仕留めていたので。
まずはネスタから。
一緒にサッカーを見ていた従兄弟はカンナバーロこそが最高にして最強と言っていました。後述予定のドイツワールドカップの活躍を予期してたのかな?と今更ながら思いますが今になっても最高のCBはネスタと思っています。
長身で足も速く身体も強い。怪我しがちなのが難点ですが全盛期の、あのペナルティエリア周辺の右サイドは全て無力化させるような感覚は彼以外存在しないのじゃないかと未だに思います。
今のチアゴシウバの活躍も彼無くしては絶対に有り得なかった。そんな訳でミランに1年だけでも戻ってきませんかね・・・
とにかくクールでエレガントでかっこいい、そんな選手でした。
お次はマルディーニです。
まずびっくりしたのが左右どちらも高いレベルで蹴れること。こんな選手がDFにいるんだって驚いた。しばらくサッカーを見て思ったことが相手からスライディングでボール奪取しそのままボールキープすること。当時は当たり前のように観てたけどあれは人間業じゃない。そしてボールを奪ったら攻撃の起点となり相手サイドを深く抉る、年を重ねても攻撃センスそのものは衰えなかった。あの存在感だけで相手は萎縮してたんじゃないかと思う。
彼もネスタと同じように華麗にプレーしていたしルックスもよかった。
退場を1度もしたことないようにミランの生きる伝説にふさわしいようなキャプテンとしての圧倒的な振る舞いも完璧だった。
そして何より紳士。あの紳士っぷりは本国英国人も見習ってもらいたいくらい。
(冨安もマルディーニみたいなプレーができる素質あるからSBとして極めてほしいと個人的に思っています。てかCBだと相手に釣られて広大なスペースを作りやすいんで仲間のカバーが間に合わないんですよね。)
余談を挟みましたが、マルディーニはカリスマ性が半端なかった。もうそれだけ。
そしてトッティ、ネスタ、マルディーニみんなヘアバンドが似合ってた。近い将来やってみたいな。
こんなに素晴らしい選手でも代表ではタイトルに縁がなかった2人でもあるんですよね。
そんな訳で次回はこの3選手のアッズーリでの活躍に触れていきたいと思います。
マルディーニのアッズーリはほぼ知らないので昔読んだ雑誌やインターネットを元に書いていこうと思います。
P.S. トッティ、ネスタ、マルディーニがそれぞれつけていた背番号より”13”の数字が大好きです。みなさんはそう言ったことありますか?
はじめまして〜カルチョ、王子との出会い編〜
それではサッカーについて少しづつ触れていきます。
一番のきっかけになったのは2002年に開催されたワールドカップです。
あの頃は日本と超人的なセービングをするオリバー・カーンに夢中でした。
イタリアのことはハイライトでしか知らずトッティって選手が退場したんだ、程度でした。
ただここで出てきたローマの王子に徐々に夢中になっていきます。
ワールドカップ以降はサッカーを追うために見ていた朝の情報番組や、すぽると!かな?そこで目にするトッティのエレガント且つ大胆なプレーを見て、ただただカッコいいと思っていました。
また、トッティというニックネームの友達がいたので余計に愛着が湧いていたのかもしれません。
次にトッティの名前を大々的に聞いたのが2004年のEURO。
ご存じ唾吐き事件です。
あの人間臭く不完全なロックの感じ。僕をサッカー、いやカルチョの世界に引き込んだ事件でもありました。
カルチョはその後カルチョポリという存亡危機の大スキャンダルに見舞われます。簡単にいうとユヴェントスやミランを初めとした一部クラブのリーグを巻き込んだ大規模八百長です。
事の発端は1997−98シーズンにまで遡るんですが、まぁこの大スキャンダルがセリエA衰退の原因ともなります。(こんなことしなくても当時のユヴェントスは優勝できるくらい強いと思うんですが)※2015年に主犯格モッジへの無罪判決が下されています。
しかもドイツワールドカップ直前の出来事、そしてなんとこの0506シーズン2月にはイタリア代表ことアッズーリを揺るがす大事件が起こっていました。
トッティ 左足首の腓骨骨折 靭帯損傷
ワールドカップの4ヶ月前にこの大怪我。僕自身後方からファールした選手にかなりキレていたことを覚えています。
しかも当時のアッズーリはトッティを替えの効かない戦術的重要選手の一人としていただけに、ワールドカップ大丈夫なのかと心配になっていました。
ただここで当時の代表監督だったリッピがトッティに対し、絶対にワールドカップに連れて行くから怪我を完治させるよう言うんですよね。まぁ大黒柱ですしそりゃ言うんでしょうけど。
すると気持ちがそうさせたのか、主治医などのサポートの賜物もなのか、直前のコッパイタリアの決勝で見事復帰。万全ではないながらもめでたくワールドカップのメンバーに入りました。
次に語るのはドイツワールドカップとトッティのその後についてなのですが、その前に他にもカルチョにハマった原因の2選手について話したいと思います。
紹介するとネスタとマルディーニ。先にあげたACミランを代表するDFの選手です。
ただ体力の限界なのでここで終わります。
はじめまして
うひっちと申します。
ブログ自身初めて書くのでどう書けば良いか迷います。
まずはブログ立ち上げのきっかけについてですが、まぁ備忘録の為もありますし後ほど記述するセリエA、もといサッカーを自分なりに盛り上げたい!という衝動に掻き立てられたせいです。
趣味は色々ありますが、サッカー観戦、フットサル、音楽、映画、アニメ、ゲーム、などなどあります。サッカー関連以外については気が向いたら触れていきます。
では立ち上げの起因になったサッカーについて触れていきたいと思います。
と思ったのですが初めてブログ書くのって結構疲れますね。
どんな構成がいいかとか、この言葉遣いの意味とか合っているのかなとか。
300文字も書いていないのにどっと疲れてしまいました。
まずは楽しく無理せずやっていきたいので短いですがここまでにします。
次回は僕の愛するセリエAについて、その中でも大好きな2チームについて、その2チームにぞっこんになったきっかけについてお話しできればと思っております。
慣れるまで小出し小出しになってしまうと思います、温かい目で見守ってください。