はじめまして〜カルチョ、王子との出会い編〜

それではサッカーについて少しづつ触れていきます。

 

一番のきっかけになったのは2002年に開催されたワールドカップです。

あの頃は日本と超人的なセービングをするオリバー・カーンに夢中でした。

イタリアのことはハイライトでしか知らずトッティって選手が退場したんだ、程度でした。

ただここで出てきたローマの王子に徐々に夢中になっていきます。

ワールドカップ以降はサッカーを追うために見ていた朝の情報番組や、すぽると!かな?そこで目にするトッティのエレガント且つ大胆なプレーを見て、ただただカッコいいと思っていました。

また、トッティというニックネームの友達がいたので余計に愛着が湧いていたのかもしれません。

 

次にトッティの名前を大々的に聞いたのが2004年のEURO。

ご存じ唾吐き事件です。

あの人間臭く不完全なロックの感じ。僕をサッカー、いやカルチョの世界に引き込んだ事件でもありました。

 

カルチョはその後カルチョポリという存亡危機の大スキャンダルに見舞われます。簡単にいうとユヴェントスミランを初めとした一部クラブのリーグを巻き込んだ大規模八百長です。

事の発端は1997−98シーズンにまで遡るんですが、まぁこの大スキャンダルがセリエA衰退の原因ともなります。(こんなことしなくても当時のユヴェントスは優勝できるくらい強いと思うんですが)※2015年に主犯格モッジへの無罪判決が下されています。

しかもドイツワールドカップ直前の出来事、そしてなんとこの0506シーズン2月にはイタリア代表ことアッズーリを揺るがす大事件が起こっていました。

 

トッティ 左足首の腓骨骨折 靭帯損傷

 

ワールドカップの4ヶ月前にこの大怪我。僕自身後方からファールした選手にかなりキレていたことを覚えています。

しかも当時のアッズーリはトッティを替えの効かない戦術的重要選手の一人としていただけに、ワールドカップ大丈夫なのかと心配になっていました。

ただここで当時の代表監督だったリッピがトッティに対し、絶対にワールドカップに連れて行くから怪我を完治させるよう言うんですよね。まぁ大黒柱ですしそりゃ言うんでしょうけど。

すると気持ちがそうさせたのか、主治医などのサポートの賜物もなのか、直前のコッパイタリアの決勝で見事復帰。万全ではないながらもめでたくワールドカップのメンバーに入りました。

 

次に語るのはドイツワールドカップトッティのその後についてなのですが、その前に他にもカルチョにハマった原因の2選手について話したいと思います。

紹介するとネスタマルディーニ。先にあげたACミランを代表するDFの選手です。

ただ体力の限界なのでここで終わります。